今回の旅の大きな目的、それは前回お話ししたようにこの原爆ドームを生で見てみたいという事に尽きます。勿論平和記念資料館もなんですが、最大の興味はこちらでした。
テレビやYouTube等各種媒体で幾らでも見れるご時世だけど、やはりこればかりは自分の目で見て空気感なりを直に感じたいという気がしていました。
(10時9分 おりづるタワー上階から撮影)
いつもほとんどドーム正面のアングル位しか記憶に入ってこない私には、建物裏側上空から見下ろすのは不謹慎ながらも新鮮というか、壁面崩れないようにつっかえ棒やらあちこち補強だらけで踏ん張ってる原爆ドームには敬意の念すら湧いてきます。
⬇︎ こちらは地上裏側から回り込むように撮影、そのまま道路進んで橋を渡ると平和記念資料館の方に行く事ができます。
周辺地域は綺麗に整備されて現代的ビルも沢山建ってるのに、この柵内だけが80年前の原爆投下(1945年8月6日午前8時15分)のまま時が止まったかのように瓦礫は散乱し、壁はひび割れ鉄筋の様な金属が剥き出しになり、あたかも映画のワンシーンのためのセットの様にも感じました。
こんな惨状(原爆かミサイルか別にして)が今現在も世界中のあちこちで起きてる現実、まかり間違えば台湾問題次第では日本も否応なく巻き込まれるかもしれない現実、なんとも本当にやり切れない時代になってしまいましたね。
なおこの周辺の放射線量について、あるいは被曝に関して不安になる方もいらっしゃるやもしれないけど、今現在は下記⬇︎のように全く問題ないレベルとされてるので安心してじっくり見て回れます。
⬇︎ 左の波線矢印部分が爆心地で、もう1本右側の横長の建物が平和記念資料館です。原爆ドームはこの写真のもう少し右手下側辺りで、このおりづるタワーから眺めると周りがビル群なのでドームの瓦礫具合がより一層際立って異様な感じです。
私は原爆ドームの真上に原爆が投下されたと思ってたら、実際の爆心地は直線で数十メートル離れた島病院という所で、現在は島内科クリニックとして開業されてる様です。
爆心地が病院だった事から医師・看護師や入院の方々含めて80人程が犠牲になったとされており、原爆は勿論のこと戦争の悲惨さを思い知らされますね。本当に2度と起きてはいけない出来事、としか言いようがありません。
原子爆弾の投下
被爆後の産業奨励館(現、原爆ドーム)
撮影/川本俊雄氏 提供/川本祥雄
平和記念資料館に行ってみると、周辺全域文字通り焼け野原・瓦礫の山なのに、何故か爆心地の辺りは⬆︎写真の様にドームを含めて少しビル群が立ち並んでいます。
たまたまこの周辺に現代建築物の粋(スイ)を集めた建物が有っただけかもしれないけど、もう一つの理由は上空600メートルで炸裂したその爆風と熱線は凄まじく拡散したけど、真下の建物は横からの爆風よりも上空からの爆風(圧力)に耐えればいいだけなので持ち堪えたとも言われてます。
たしかに縦長の構造物は、上よりも横からの力に対して弱そうな感じしますもんね。