⬆︎極楽浄土を極楽青土(じょうど)と変えてるんですね。無理やり英語にしちゃうと「ブルーヘブン」? 「ドラゴンアイ」然りですが、海外含めて多くの観光客呼び込むためには良いネーミングかと思います。
以前にも話題にした東洋一の海岸線にある男鹿のレストラン(道の駅オガーレ内)、
「死ぬまでに行きたい!世界の絶景2017年国内ベスト絶景1位!」の男鹿市北浦「雲昌寺」さんに行ってきました。当日は時折小雨パラつく曇り空、平日の昼下がりにもかかわらず駐車場は満車に近い状態で結構混んでました。
我々の前を大きなミニバン走ってたけど撮影クルー(NHK)の車だったらしく、紫陽花咲きほこる境内では副住職さんに案内されながら撮影が行われておりました。近くを通った時に二言三言会話を交わしてひょっとしてテレビに〜?、などとも思ったものの勿論全く映っていません。オンラインニュース見ると「癒される」とか「サファイアみたい」などと仰ってる方々もいて、やっぱりテレビ映えする気の利いた会話出来ないとな〜と感心しきりです。
⬇︎ 一般駐車場は道路挟んだ反対側で、関係者以外お寺方向には侵入出来ません。
⬇︎ 写真で見るより境内はもっと混んでて、そしてなにより紫陽花はもっと青々してて美しいです。紫陽花には色々種類や色合い違う物があるけど、ここ雲昌寺さんは青色一色の清々しい鮮やかさでまさに「ブルーヘブン(青い天国)」です。お賽銭入れていつも通り沢山の願い事もしてきたけど、はて?神社とは願い事違うものでしょうか?調べてみました。
<願望の違い>
寺院では、死後の極楽浄土または現世での幸福を願います。祀られている仏様によって現世か死後かに分かれています。寺院で願うというのは、「願う」というよりも、自分自身で自分の環境や生活をより良いものにしていくという「誓い」を立てる、という意味での願いです。
神社では、現世の幸福を願います。神社への参拝は穢れを清めるための方法のひとつです。「心機一転の決意表明」といった意味合いを持つため、自分に都合の良い願い事を願うのは本来の主旨からはずれるとされています。
⬇︎ 境内中程には飲み物やお団子を食べれる休憩スペースがあり、多くの人が食べながら飲みながらアジサイ眺めて会話を楽しんでおりました。私達はカノンアイスコーヒー(地元の珈琲ショップ珈音さん)とあじさいティーにしたけど、このあじさいティーはレモンを加えるとリトマス試験紙のように青紫からピンクっぽく変わっていきます。お団子も甘くて柔らかく大変美味しかったです。
いつもながら少しずつ書き足しアップだとついつい長編に、、初めてご覧になる方もいらっしゃるかと思うけど、診療に関わる事以外の日々感じた事や体験も備忘録兼ねてアップしています。よろしければ今後ともお付き合いくだされば幸いです。
⬇︎ 境内の地面には7箇所「ハートマーク」の石が埋め込まれてます。東京ディズニーランドは勿論、最近この手の趣向凝らしたテーマパークも人気ですね。お寺でこの着想は本当に素晴らしいと思います。
⬇︎ NHKさんの撮影風景です。オンラインニュース(6月30日ニュースこまち)で夜間ライトアップ風景も流れてたので、この後数時間も取材あるいは待機してたんですね。副住職さんのこれまでの紫陽花取り組みは勿論ですが、取材対応能力の素晴らしさには脱帽です。秋田を代表する観光名所になって欲しいと思います。
⬇︎ 日本全国「あじさい寺」はいくつもあるけど、青色一色のあじさいが夜間ライトアップされて幻想的雰囲気を醸し出す体験はここでしか味わえないようです。あじさい寺と言えば私は鎌倉を連想するので少々意外です。ますます日本一のあじさい寺になって欲しいのと同時に、近いうちに必ず夜間ライトアップを観に行こうと思います。
小学校の入学者0人の秋田の町に全国から人が殺到中
「地方消滅」の筆頭格に挙げられている秋田県男鹿市に、ある寺院の地道な試みによって再生の光が灯り始めた。火付け役は男鹿半島の漁村にある曹洞宗寺院の副住職。境内にあった1株の青いあじさいの株分けを20年間延々と続けた結果、えも言われぬ景観を作り上げた。SNSなどで瞬く間に広まり、「死ぬまでには行きたい世界の絶景地」のひとつに挙げられるようになった。近年ではシーズン中で5万人以上規模の参拝客が訪れ、寺だけではなく男鹿半島全域が再生し始めた。地域創生のあるべき姿をみた。
実は境内に植えられているのはあじさいだけではない。古仲さんは、春は桜、夏はあじさい、秋は紅葉の、季節ごとの花の名所にしようという計画を描いている。いま枝垂れ桜とイロハモミジの株を、あじさいと同じように少しずつ増やし続けている。
「桜と紅葉は京都から取り寄せています。あじさいもそうですが、闇雲に植えてもダメ。境内を彩る植物は品種の見極めがとても大事なのです」桜や紅葉は、あじさいとは異なり、大木になって寺が「名所」となるには数十年の時間軸が必要だ。しかし、古仲さんは次代のためにそれを続ける。持続可能な寺と地域づくりのために。