先日のスタッフ日記 国家試験を終えて で少し気になってたところに、元バスケ部スタッフの会話(井戸端会議)を小耳に挟んで益々興味が湧いてしまい、、本日午前中の診察終えてから能代市のバスケミュージアムに行ってきました。

 

 

⬇︎ 場所は市街地アーケード街で専用駐車場が近くにないので、仕方なくイオンに停めて向かったけど問題無いとの受付スタッフのお話でホッとしました。今日はどちらから?と聞かれた後、館内写真はご自由にとの案内がありました。少しぶらぶら見てたら脚本家の三谷幸喜氏にそっくりな方がいてびっくり、まさかまさか、ですよね?

 

 

館内写真はスタッフ日記の方をご覧頂くとして、私のお目当てはあくまでもどこまでもこちら⬇︎の選手でした。あまりバスケット🏀にご興味無い方でも一度はニュースか何かで聞いた事あるかもしれません、日本を超えて日本人初のNBAプレーヤーにまでなった「田臥雄太選手」の話題です。

 

田臥勇太さん一色のコーナーが有って、長時間見入ってしまいました。まるでスラダンか何かにでも出てきそうな名言の数々。私は地元秋田県(能代)出身かと思ってたけど、元々は横浜で活躍されてた選手だったんですね。いつか彗星の如く彼のようなスター選手が現れて、往年の王者能代が復活する事を願ってやみません。

 

田臥勇太

経歴

生い立ち

1980年10月5日、神奈川県横浜市金沢区に生まれる。父親は植木職人。高校時代に関東大会まで進んだ母親の影響で小学校2年生(8歳)でバスケットボールを始める。ミニバスケット時代は横浜市戸塚区の矢部小学校ミニで経験を積んだ。[4]小学校3年生からはソフトボール(ポジションはキャッチャー)も掛け持ちで始め、シニアリーグからの誘いもあるほどだったが、中学からはバスケットボールを選んだ[5]1993年4月、横浜市立大道中学校に入学後、1995年8月の第25回全国中学校バスケットボール大会に出場し3位。大会ベスト5に選出された。1995年ベネッセコーポレーション(当時は福武書店)のテレビCMでパトリック・ユーイング(当時ニューヨーク・ニックス)と共演した。

 

 

⬇︎ 映画「スラムダンク」の主人公?みたいになってる沖縄出身「宮城リョータ」。ポジションは田臥勇太氏と同じポイントガード。はて?名前もポジションも雰囲気も似てるような似てないような、、?

 

 

 

⬇︎ だいぶ前に子供絡みで急遽神奈川県に行く機会あり、そのついでに「スラダンの聖地」江ノ電鎌倉高校前で降りて散策がてら向かってみました。天気もあまり良くない肌寒い午後だったけど、かの有名な踏切付近は数十人のカメラ構える人だかりと中国語が飛び交う独特な雰囲気で、田舎者の私は圧倒されながらも何とか写真に納めてきました。できれば私も写真映えするように電車来るまで待機したかったけど、空腹の子供が気の毒で海沿いを潮風浴びながら歩いてレストランに向かいました。

 

⬇︎海沿いのレストランは遠くに江ノ島が見えるロケーションが素晴らしく、肌寒かったけどせっかくだからとテラス席を選択。すぐ下を行き交う車やカップルからジロジロ見られたりするものの、あまりの開放感と爽快感の前では大した問題でもなく、また女性スタッフの笑顔と気遣いが素晴らしくて気持ち良く食事ができました。

 

そこから歩いて鎌倉方面に向かうと「極楽寺」という駅があります。数年前「海街ダイアリー」という映画で珍しい駅名だなと思って観てたけど、去年だったかネットビデオで小泉今日子と中井貴一主演の「最後から2番目の恋」を観てから機会あればと思ってました。他にも昔懐かしの「俺たちの朝」のロケ地にもなってたようですね。